アダルトチルドレン|私の場合PartⅡ
自然素材に包まれた良い家を建てれば、快適で良い暮らしが出来るのか?
実はそうとも限りません。
やはりメンタル的にも、健全で居られた方が、より良く快適な生活を過ごせると言うモノです。
頑張り過ぎていたり、本当にやりたい事をやれなかったり。
自分自身が限界なのにも関わらず、気が付かない方がとても多いんです。
事実私だって、そんなん全然分かってませんでしたから(笑)
と言う事で、中尾建築工房のブログは、ジャンルで言えば工務店ブログ。
けど、家造りをされる方にもちょっとした気付きが得られる様に、アダルトチルドレンの知識を分かりやすーくご紹介していきましょう!
前回は私の幼少の頃の記憶をたどって、どんな子供だったのかを書きました。
小さいながらも、言いたい事を言える環境にはなく、とにかく怒られる事の多い家でした。
子供は馬鹿ではありません。
むしろ大人の方よりも、なんのしがらみもない子供の方が、無邪気で親の事を分かるのではないでしょうか。
理由を説明する事もなく『うるさい、駄目だ!』とか『静かにしろ!』とか、超能力者じゃないのだから、きちんと分かる様に説明をすれば、子供だってきちんと聞き分けの良い行動を取る様になります。
けれども、とにかく『うるさい、駄目だ!』とか『静かにしろ!』
これでは、ただ怒っているだけにしか思えません。
もしかしたら親の方も、言いたい事を言えなかったのかもしれませんけどね。
こういった圧倒的な圧力が加わると、子供の私にとっては自分の好きに行動してはならない。
自分のやりたい事、言いたい事をのびのびと言ってはならない。
この様な考えを持つ様になります。
私のセルフイメージは段々と悪くなり、家よりも外に出て行ってしまう傾向になりがちでした。
そして月日が経ち、私は小学校四年生の頃に父親に対して喧嘩腰で突っ込んでいった事があります。
子供は寝る時間だったのですが、私と姉共にそれぞれの部屋で布団に入っていたのです。
ところが、母親に対して父親が説教をしている声が聞こえてきました。
それは子供ながらにしても『そこまで言わなくても良いんじゃないか。。』と思える言動で、私と姉は部屋から出て来て廊下で隠れながら話を聞いていました。
そして姉からの一言
『博志、あんた行って来な!』
もちろん、両親には聞かれない程度の超小声で(笑)
当時の私は姉と喧嘩すると、姉の方が圧倒的に強かったのです。
両腕を膝で抑えられて、抵抗できない状態でマウントボコされてましたから(笑)
なので、なんで俺かな〜と思いつつ、私はドキドキしながら呼吸も整えずに父親に向かって行きました。
『おい、おかあさんをいじめるなっ!』
向かって行った時、父親は少し驚いた程度で『やれるもんなら、やってみろ〜』と、完全にバカにして受け身を取っていました。
私はそのなめきった父親に超ムカつきまして、掴まれた両腕に全力を掛けました。
そして後ろから一言
博志、やめなさい!
お母さんが悪いんだから!!
この声を聞いた瞬間、私は全身の力が抜けてしまいました。
なぜならいつも子どもたちの面倒を見てくれている母親を守ろうとして、酒呑んで文句を言っている父親に向かっていったのです。
この瞬間、私は親の事が嫌いな傾向になりました。
私の言葉遣いが父親、母親に対して段々と荒々しくなったのは、ちょうどこの頃が境だった事を覚えています。
そしてやたらとドカ食いをする様になりました。
小学校四年生なのに、朝ごはんはお茶碗を4杯
昼は給食で、なんでもかんでもおかわりしまくってました。
家に帰宅すると、父親が自衛隊の缶詰を持ち帰って来ておりましたので、それを一人で食べ切ってました。
自衛隊の缶詰は腹持ちの良い様に、もち米で出来ているから、かなりお腹は膨れます。
それでも一人前をぺろりと平らげて、晩御飯もしっかりと食べてました。
今、考えてみるとあり得ないほどの食事量です。
お腹が減っているかと言えば、そうではなかったです。
でも、食べずには居られなかったのです。
これが後になって、なぜそうだったのかを、この本を読む事で理解する事が出来ましたが・・
この本を書いた岩月教授は、人間行動学とか理学を専門にされている方でして、他の本でもずいぶんと参考にさせて頂きました。
なので何気に購入したのですが、ここに私のドカ食いの秘密が記されていたのです。
とにかく軍隊の様に厳しい家でしたので、私のみではなく、当然姉もまともな道には進みません。
姉が中学生の頃、私は小学校高学年。
当時住んでいたマンションは、たまたま抽選で当たった新築マンション。
ローンの返済もあったのでしょう、母親もパートに出かけていまして、私と姉は鍵っ子だったのです。
立地的には目の前が中学校で、親は夕方以降にならないと帰ってきませんから、ある意味やりたい放題です。
そんな条件が整っていたせいもあって、姉友達がゾロゾロとリビングでタムロしてタバコを吸っていました。
姉友達には結構可愛がられていましたから、私も便乗してタバコを吸い出しました。
ここからはお約束通り、中学に入り、不良仲間が出来ます。
部活も入っていましたが、私の中学では野球部とバレー部に、不良が集まりました。
私が中学三年になる頃は、男子バレー部の部長になったのですが、試合になると実力勝負と言う前に、相手を威嚇するチームだったと思います。
相手を威嚇するせいか、なにげに強くて、横須賀三浦地区では上位から3〜4番手を位置するチーム。
そしてなんとか高校には入学出来たものの、はっきり言って、あまり行きませんでした。
なぜなら高校で友達になる不良仲間は、どんどん中退していきます。
早い中退者は、入学して一月居なかったんじゃないかな・・
なので私は昼間は高校に居たとしても、夜になったら仲間の居る場所に出向く様になったのです。
そしてまた高校に行ったり、友達の家に泊まったりして、またまた夜になったら仲間とタムロしてました。
いわゆる、暴走族と呼ばれる集団です。
暴走族と言えば、イメージ的に怖い印象を持たれるかもしれません。
けど、以外にも本人たちは、フレンドリーな感じだったんです。
親から受けるプレッシャーを、夜の暴走をする事で発散しているのが一番ストレートな表現なんでしょう。
自分の好きなバイクを購入して、自分の好きなカスタムパーツを装備して、自分の好きなカラーリングに塗装をして、夜の暴走を繰り返してました。
暴走族の中で、集団で走りに行く事を集会と言います。
この写真は昔ブログにアップしたモノなのですが、割りと単車のドレスアップとしては、おとなしめの頃の写真です。
この後が『これ、ホントに走る・・・の?!』って思うくらい、ド派手は単車に変化していったのです。
集会では、地元ごとにチーム名がそれぞれあって、私の地元はピエロでした。
なので私も先輩から譲り受けた横須賀ピエロの特攻服を着込んで参加してました。
お互いの単車の事を褒めあったり、蛇行運転、直管空ぶかし〜のの、アクセルミュージックを連発させて走ります。
集会の日程を決めるのは、幹部会で決めていたのですが、当時の私は幹部会に参加するだけではなくて、夏場などは全ての集会に出て行く位、家に居るのが嫌でした。
当然、警察関係の方にもお世話になっておりましたが、あまりにも私達だとバレバレな特攻服&単車なので、後ろから追いかけてくるパトカーさんには『◯◯〜、中尾〜、◯◯〜、止まれ〜』なんて言われてしまうほど、集会には常連だったんですね。
暴走族ですから止まれと言われても、全然止まらないんですけど。。
集会を解散しても、まだまだ走りたらない私は、友達同士で早朝バズーカと名づけたミニツーリングもしてました。
馬堀海岸の海岸線を、ひたすらアクセルミュージックを連発させて走り抜けてるから、あの周辺に住まわれている方にとっては、とっても大迷惑だったと思います。
息子がこんな事をしていれば、自衛官の父親は更にエキサイトして、怒りを私にぶつけます。
その怒りをぶつけられる私は、更にブチギレして暴走に走ります。
なんだか思い返すと、イタチごっこだったんですよね、実際。
結果的には、あの時代であのタイミングだったから、単車で走り回る事によって、自分のセルフイメージを回復する事が出来たのでしょう。
けれども私の知らない間に、父親の刷り込みによって、私の人生が如何に苦難の連続になるのかを、40代も半ばに差し掛かった、今の今になって分かる様になってしまったのです。
明日は定休日だからブログもお休み。
他にもブログネタいっぱいあるけど、やっぱり続けてチルドレン特集ウィークにさせて頂きまーす☆