アダルトチルドレン|私の場合
自然素材に包まれた良い家を建てれば、快適で良い暮らしが出来るのか?
実はそうとも限りません。
やはりメンタル的にも、健全で居られた方が、より良く快適な生活を過ごせると言うモノです。
頑張り過ぎていたり、本当にやりたい事をやれなかったり。
自分自身が限界なのにも関わらず、気が付かない方がとても多いんです。
事実私だって、そんなん全然分かってませんでしたから(笑)
と言う事で、中尾建築工房のブログは、ジャンルで言えば工務店ブログ。
けど、家造りをされる方にもちょっとした気付きが得られる様に、アダルトチルドレンの知識を分かりやすーくご紹介していきましょう!
さてとタイトルになっているアダルトチルドレン、私の場合(笑)
実は私も1年半前まではそんなの知りませんでした。
『アダルトチルドレン?!はぁ?なにそれ。。』
こ〜んな感じだったんです。
だから自分自身がアダルトチルドレンだったんだ〜なんて、当然ながら知るよしもありませんでした。
それを知るきっかけはちょっと置いておいて、私の場合を説明してみましょう。
アダルトチルドレンの概念は、検索すればいっぱい出て来るだろうから、それぞれみなさん検索で調べてみてください。
簡単に言えば、生きにくい生き方をして来た、もしくはしている方達の事を指します。
んで、人口の割合で言えば、どれほど割合で居るのかって言うと。。
6割って言う人も居ます。
9割って言う人も居ます。
単純な画にしたとするとね。
真ん中の黒い部分は、医学的にもきちんとした病名が付く精神病の方。
故に健康保険が適用されますので、病院でもカウンセリングや治療、投薬が施されます。
青文字は普通の人だから関係無いとして、赤文字はアダルトチルドレンの人。
ここは病気ではないから、病院に行って治療をする事も無いですけど。。
疲れやすかったり、落ち込みやすかったり、私みたいにアホみたいに根性、忍耐で頑張ってしまう人とかね。
こうやって画にすると、如何にアダルトチルドレンの方が多いかが分かるかと思います。
んで、私も一年半ほどの間で、猛烈に専門書を読みました。
とっても参考になる情報を公開してくれているカウンセラーさんのメルマガも読んだりしてました。
だから私もそれなりの知識があるのですが、私から言わせれば人口の9割5分、もしくはそれ以上なんじゃないかって思っています。
現にたまにしか普通の方にはお会いしませんから(笑)
で、私の場合、どんだけアダルトチルドレンな生き方だったのかをアップしてみましょう。
幼稚園、小学校の頃はとにかく病弱なのだけれども、遊びに関しては楽しんでいた子供だったと思います。
小学校二〜三年生までは、ちょくちょく近所の渋谷医院さんに通ってました。
そして小学校四年生になってからは、体育委員長で体操の時間は壇上に上がって体操したり、運動会(体育祭)では騎馬戦のリーダーなども努める子供だったんです。
なんだかとっても問題の無い子供の様にも思えます。
ところが当時は友達には言えない悩みがありました。
自慢じゃございませんが、小学校六年生までは毎晩毎晩、日本地図を書かせたら誰にも負けない天才なんじゃないかって位、おねしょ番長だったのです(笑)
あまりのおねしょぶりに困った母親が大学病院(結構遠かった記憶有り)で、私の脳波を測っていたりもする位、おねしょの度合いが凄かったのです。
私も自分自身で『あの頃、なんでそんなだったんだろう・・』って、何度か考えた事がありました。
で、今は理由が分かるのですが。。
私の父親は熊本県の菊池と言う場所の出身で、食べるのに困って陸上自衛隊に入っていました。
じいちゃんが大工だったらしいのですが、仕事のランク付けして、嫌いな仕事はしない人だったんですって。
だから家にはお金の無いので、じいちゃんへの酒、弟と妹へのご飯は買うけど、自分自身はトウガラシをかじって来た子供時代だったんですって。
そんな子供時代を過ごした父親は、自衛官として、とにかく自分自身にも手厳しい父親でしたし、その厳しさは自分自身に留まらず、家族にも厳しい父親でした。
そんな厳しい父親ですから、僕ら子供には厳しいしつけをして来ました。
なんだかねー、子供の頃を振り返ると、とにかく良く叩かれたましたね、実際。
よーく、転がってましたよ。。引っ叩かれて・・
近所の神社や友達の家で遊んでたりすると、ほんのちょこっと時間が遅れただけで、家には入れてくれなかったりとか。。
私がわんわん泣いて謝ってるのに『そんなの関係ねー』位の勢いで、引っ叩かれておりました。
自分にも家庭にも厳しい父親の元には、おしんの様な母親。
おしんの様な私の母親は、手厳しい父親には文句も言わずに、父親の方針通りに子育てをします。
私はと言えば、いつも怒られてばかりいるものですから、段々と言いたい事も言えなくなります。
当時、言いたい事を言えなくなった私は、友達の家をとっても羨ましく思っていました。
運動会の頃なんかは、お弁当を見て『友達の家の唐揚げは醤油色だよ!なんでうちの唐揚げは白色なの〜?!』と、いきなり切れて泣き出した事もありました(笑)
父親、母親共に九州人なので西日本の人達は薄味、関東の人は醤油味なんて事は、子供は知りませんしね。
これ、思い返すと唐揚げの色なんて、おそらくどうでも良かったんです。
いつも我慢我慢を続けているから、ある時突然切れてしまう。
実は唐揚げの色の事がど〜のこ〜の言いたいのではなくて、お友達の家のお父さんお母さんが優しいから、ただただそれだけが羨ましかったんですよね。
この他にも母親の財布からお金をくすねていました。
五百円札から始まり、千円札、五千円札、一万円札。。
でも、これがまた気が付かれないんです。
そしてお金が欲しかった訳でもありません。
様は親に構って欲しかったんですね。
そう、ここでおねしょの話に戻るのですが、厳しい父親に育てられました。
しょっちゅう叩かれたり、怒られたりしてました。
我慢の限界まで我慢をして来ました。
それでも怒られたり、叩かれたりするから、ひたすら子供ながらに我慢を続けてきました。
当時の自分を段々と掘り下げていくと、おねしょの原因は。。
父親にいつ怒られるか分からない恐怖感から、ビビっておねしょをしてたのです。
そりゃーするよねー、おねしょくらい(笑)
結局、おねしょの原因は脳波の測定でも分からずじまい・・
そりゃーそうです、私としては平常営業ですから。。
こんな事が分かるのも、自分自身を振り返って、自分が当時どう思っていたのかを掘り下げて行くのです。
でも、大人になると、なかなか私達にはそんな時間がありません。
そして自分自身の育って来た過程が普通だと思い込んでますから、自分自身がどれほどサバイバルをしていたのかなんて、気がつこうとしても気が付けないんです。
この現象を、いわゆる感情麻痺と言われたりしてますね。
さらに言えば、自分自身の事は、自分が一番分からなかったりするのですよね。
目は外に向いてるから自分の事はなかなか見れませんしねー
と言う事で、アダルトチルドレン|私の場合。
アダルトチルドレンの種類で言えば、私はおそらく。。
反抗的とか、問題児だったと思いますので、スケープゴートって種類のチルドレンなんでしょうね。
次回は私が親にブチ切れて、不良になった頃のお話を(笑)