アダルトチルドレン|私の場合ParⅢ
自然素材に包まれた良い家を建てれば、快適で良い暮らしが出来るのか?
実はそうとも限りません。
やはりメンタル的にも、健全で居られた方が、より良く快適な生活を過ごせると言うモノです。
頑張り過ぎていたり、本当にやりたい事をやれなかったり。
自分自身が限界なのにも関わらず、気が付かない方がとても多いんです。
事実私だって、そんなん全然分かってませんでしたから(笑)
と言う事で、中尾建築工房のブログは、ジャンルで言えば工務店ブログ。
けど、家造りをされる方にもちょっとした気付きが得られる様に、アダルトチルドレンの知識を分かりやすーくご紹介していきましょう!
昨日はプライベートで逗子海岸や一色海岸に居たのですが、今日は仕事で逗子海岸へ。
風がとっても強かったのですが、浜辺には少しだけ家族連れが居た程度。
先週、今週と台風の影響は、海の家にとって大打撃だと思います。。
さて、前回は私が非行の道に走った頃の事を書きました。
学校も楽しくないですし、バイクを卒業した私は高校在学中に夜の世界に脚を踏み入れる事にしたのです。
高校に関しては、元々2年生の頃は出席日数が足らなかったのですが、担任先生のご配慮で、たまたま進級出来ただけ。
その後、私は高校を中退しました。
当時の年齡17才でした。
17才の少年から見る夜の世界は、最初はとってもきらびやかなイメージ。
最初はパブレストランを数軒働いて、なんだかんだと横須賀で一番か二番目に高級なクラブ(語尾上げの方)のバーテンダー&グループ会社のパブレストランに勤める事になったのです。
当時はまだバブル期でしたので、不動産会社の社長さんやら、ヤクザ屋さんの組長さん、建設会社の社長さん、車屋さんの社長さんなとなど、たくさんの方々が大金を支払って呑みに来られていました。
初めて一人で来店される方が支払う金額は、二時間程度で安くとも5〜6万円は頂いているお店。
今では銀座辺りに行かないと、考えられない景気の良さが伺えるかと思います。
その高級クラブでは、たくさんのホステスさんが居ました。
まだインターネットの無い時代でしたので、新聞を数冊読んで、顧客を飽きさせない様に勤める方も居ましたし、お客の財布は私の財布と言わんばかりのホステスさんも居らっしゃいました。
そして水商売の裏側全てを見てしまった私は『水商売って、怖い世界なんだな・・・』と思う様になった事を覚えています。
バーテンダーをしていた時、私はホールではなくカウンター内で仕事をしています。
そうすると接客中のホステスさんがカウンター内に入って来て、なにやら私に話掛けてくるんです。
『あのエロジジイさ〜、私を相当安く見積もってるから、ドリンク30杯ね(怒)!!』
顔で笑って、見えない所では毒吐きまくりなホステスさんに、当時の私はドン引きしたのを覚えています(笑)
私はこの頃から家を出ていました。
17才なので、本来ならアパートなど借りれません。
けれども最初に入店したお店のマスターが、たまたま不動産業をしていたのです。
そのマスターが使っていない部屋があるから、中尾はそこを使って良いよ〜と無料で貸出してくれました。
不便でボロボロ、冷蔵庫も無い生活でしたけど、私にとっては親の文句やしつけが届かない最高の場所だったのかもしれません。
エアコンも無いから、夏は暑いし、冬はめちゃくちゃ寒いアパート。
けれども、誰にも文句を言われないボロアパートは、私にとっては必要な居場所だったんです。
当時は全然気が付かなかったけれども、今振り返って思うのは、自分自身の秘密基地的な場所だったんでしょうね。
そして18才になる頃には、そのアパートも出て、自身で横須賀中央駅徒歩3分程度のアパートに引っ越しをしました。
勤めているお店も横須賀中央なので、行きも帰りも歩いて帰れる立地は最高でした。
良い面もあった水商売生活でしたが、その反面困難も多かった時期でした。
水商売生活でお付き合いしていた女性は一人だったのですが、その女性絡みの事で、やたらと周囲と揉める事が多かったのです。
あんまり詳しくは書けないけれども、ヤクザ屋さんとはしょっちゅうトラブルがありました。
一回、二回だったらまだしも、そんな程度じゃありません。
とにかく、あらゆる場面でヤクザ屋さんが現れてくるのです。
この頃、僕が息抜きとしていたのが、江ノ島までのツーリングでした。
仕事はお店の閉店をしてから片付け含めると朝の6時まで。
なのでお昼過ぎに起きて、江ノ島までバイク(普通のバイク)で走りに行く事を日課にしていました。
特に江ノ島に着いて、江ノ島で遊ぶ訳じゃないんです。
海岸線をバイクで走る事は、私にとってのストレス発散でした。
海を見ながらタバコを吸って、将来の事も考える様になりました。
きらびやかな世界には、憧れで入ってはみたものの、いつまでもやる仕事ではない事位、自分でも分かっていました。
『なんか考えないとな・・』
そんな矢先に私の目に飛び込んできたのが、稲村ヶ崎で白装束の大工さんが、ウッドデッキを一人で組み立てしていたのです。
その姿を見て『うわっ、超カッコイーんですけど!』
この時、私が大工になろうと思ったきっかけを作ってくれました。
そして江ノ島から横須賀に戻る途中、必ず立寄っていたのが葉山真名瀬のタバコ屋さん。
ここから見る富士山の景色、海の景色が好きでした。
前にもちょこっと書いた事があるのだけれど、逗子から横須賀までは田浦を抜けた方が早いんです。
それでもわざわざ葉山を通過するルートを通って、真名瀬のタバコ屋さん前の景色を眺めていたんですよね。
そして私が水商売をやめる最後にも、しっかりとヤクザ屋さん登場(笑)
これも詳しく書くと相当怖いのですが、最後は日本刀まで登場してくれちゃってました。
それでも振り切る様に昼間の仕事を目指すのですが、水商売はきらびやかな世界でして、衣類もそれなりのモノを着てたりします。
私もスーツはオーダーばかり着てたりしてましたので、若干が借金が残ったり。。
当時ハローワークに行って工務店を探すも、大工見習いの給料は記載がありません。
なのでここなら行けるんじゃないかと思って行った先は、なんと最低賃金を大きく下回る7万円(笑)
こんなんじゃなんにも出来ませんし、借金のある身で働く事は不可能です。
だからまずは賃金の良い配管断熱工事職人をし、借金が無くなってから大工の見習いに入りました。
この時点で私の年齡は22才。
中学卒から大工になっていた人達は、すでに親方クラス。
スタートが遅いと言う事は分かっていたけど『人よりもスタートが遅いなら、人の倍働ければいい、俺は誰にも負けない大工になる!!』
そう思ってがむしゃらに働きました。
けれど、大工見習いに入って二年間勤めた工務店は倒産・・・
ほとんど雑用ばかりで、きっちり大工としての仕事をさせてもらえたのは半年ほどの間でした。
そしてまた工務店探しをし、今度は家一軒丸ごとを請負う工務店の若い衆ではなくて、大工工事のみ専門に請負う工務店に就職をします。
ここでは狂った様に働きました。
朝7時〜夜の11時まで働ければ、一日で二日分の仕事量になります。
あっという間に現場を任せてもらえて、一気に『あいつはなかなかたいしたもんだ』と廻りの評価は変わっていきました。
けれど26才になった頃、仕事が出来る様になる事は嬉しい半面、なんだか自分には感情の全く無い、働く職人マシーンの様な感覚を感じたのです。
これはヤバイなと思いまして、少し休みを取る様になり、スキューバーダイビングのライセンスを取得して、逗子、葉山の海を潜る様になったのです。
そもそも人生は努力、根性、忍耐、修行、大工も修行と思い込んでましたから、苦難の連続です。
その中でも一番大きな苦難は、私が独立を迎える29才の時に起こりました。
この現場が務めていた大工工事専門の工務店での最後の仕事と言う話になり、私はしっかりやらなきゃと思ってました。
ところが一月半あった大工工事期間が、なんとたった半分に縮まってしまったのです。
人の手を入れたくとも、工務店は入れられないと言う。
でも私は職人として、手抜きの仕事なんてしたくはない。
そう思った私は、資材などもいつもは自分で荷揚げをしていたのですが、少しでも仕事する時間が欲しいため、材木屋さんに荷揚げをお願いしました。
材木屋さんはしぶしぶ荷揚げをしてくれたのですが、現場の事は良く知らない材木屋さんでした。
私は足場なども自分でしっかりと固定して、作業をするタイプだったのですが、資材の搬入で足場を外されている事すら知りません。
でも自分で足場は固定していた事もあり、なんの気なしに足場に乗ったのです。
その足場はすでに外されていて、半分浮いた状態になっている事すら知らず・・・
乗った瞬間、当然私はバランスを崩して、下へと転落していきました。
あまりの衝撃に声も出ないし、体もどこが痛いのかが、はっきりと良く分かりません。
そしてなんとか病院に行き、MRIやレントゲン検査をしてもらいました。
結果、頚椎圧迫骨折の診断が出て、体の右半分はしびれがありました。
そのまま私は強制的に入院です・・・
まさかの独立間際に、職人としての生命線を打ち砕かれる様な大怪我をする事になります。
とにかく必死で働かなければとか。。
人よりも、もっともっと努力をしなくちゃ・・
なにがなんでも仕事キッチリで、工期を間に合わせなければ・・・
自分自身の事を書いていて、当時は全然普通だと思っていたのですが、今振り返ってみるとあり得ない働き方をしていました。
努力、根性、忍耐、修行。。
そう思って働いていたのですが、さすがに首の骨を折ると言う大怪我を背負ったこの時ほど『なんで俺がこんな目にあわなくちゃならないんだ・・』と思ったのを良く覚えています。